20230203(金)〜0206(月),北海道

 

ふと、真下に雪がある生活を見たことがなかったから、冬の北海道に行こうと思った。

どうせなら、と雪まつりの日程が二日目ぐらいに被るような日取りが良くて、この日を選んだ。祭りは開催当日とその前日、片付けの後日の3つの顔を持っているから、できれば全部観たかったけれど、長いお祭りでは難しい。次があるかはわからないが、雪像の最後を見てみたいとは思っている。

 

3日、金曜午後15時頃に新千歳空港に到着。着陸がとても上手で、揺れひとつなかったことだけ覚えている。(就活の時、格安の飛行機に乗りすぎた結果、感覚が麻痺しているだけかもしれないが)

空港から札幌まで快速電車に乗る。電車の窓やライト、車輪の至る所に雪が積もっていて、生活の中の雪をここで初めて目にした。いかんせん、自分の育ったところでは線路の無い山側は雪が降れど、主要路線の海側で雪が降ることは無かったから、恥ずかしながらここが初めて観測した、生活と共にある雪だった。雪って電車に乗るんだ、と暖かすぎる座席で呆けていた。

ひと区間が長い電車に懐かしさを覚えながら雪景色を窓から眺めて、50分程で札幌に着いた。金曜日はそこまで冷えていなかったのか、高揚感でかき消されたのか、あまり寒さは気にならなかった。ただ、道路一面に雪が積もっていることだけが不思議で仕方がなかった。

繰り返しになるが、自分の出身地で雪が積もることはない。昔から雨も少ない地域で、だから溜池が沢山あるんだよ、と小学生の自分たちは習ったりする、そんなところだ。 

ひとまず、雪の張る道路を踏んでホテルを目指す。すぐに、ブーツで来ていて良かったな、と突発的な旅行にも関わらず助言をくれた複数の人に感謝した。防水スプレーをふること、お前はスタミナの限り歩くから普段使いできるようなスノーブーツにすること(硬いブーツほど億劫なものはない)、など。この言葉のおかげで、旅行中何度も滑ったものの、転倒も、靴下が濡れることも無く済んだ。自分の前の旅行客が、小樽の坂でスライディングのまま滑り落ちていったことをよく覚えている。5日の日曜日、昼頃のこと。とても綺麗なフォームだった、あまり嬉しく無い言葉だろうけれど。

 

金曜日は雪まつり前日なだけあって、まだ旅行客は少なめだった。ライトアップ前の雪像、傷ひとつないカーリング場、大量のマトリョシカを見ながらテレビ塔に登る。勝手ながら英語圏が多いと思っていたが、実際は韓国・中国・英語で4:3:3ぐらいだった(場所に寄るのだろうけど、札幌と小樽は上記比率で、キロロは英語がほぼ10だった)。同じエレベーターに乗ったマダムが関西弁で、「この階段を滑り落ちたら死ぬんか!?」と喋っていたが、そらだれでも死ぬやろなあとマスクの下で笑っていた。この生活になって、マスクに感謝することが増えたと思う。

夜景は特に言うことも無く、美しいものではあった。

 

駅前の大通りから少し歩くと、仕事帰りの人や学生など、そこに住んでいる人しか居ないような通りに出た。祭り前の過剰なライトアップのせいか、除けられていない積雪のせいか、ひどく静かに感じた。人気のいない道は駅前の固まった雪より歩きやすいな、と少し張った足をほぐすことができた。

傍に積もった新雪を触って指先を悴ませたり、走って転けかけたり、ひと通り楽しんだ後、教えてもらったところで寿司を食べた。寿司は国内どこで食べても美味しいので、日本生まれでよかったと本当に思う。

余談で、いいところか悪いところか決め難いが、自分は提供されたらすぐに美味しそうだなと食べてしまう人間のため、この旅行でご飯の写真は本当に一切ない。

 

街の写真とまっさらなカーリング場の写真。

 

4日、土曜。

2時に起きて、まだ暗い街を歩く。流石に冷え込んでいて、寝惚けていた頭はすぐにはっきりした。寒。ペラッペラのジャージで外に出たのを、この三日間で一番後悔した。流石の時間だけあって人は誰も居らず、大通りの方に行けば少しだけ人が居た。もう少し歩いていくと、いい感じの酔いどれを複数見た。寒くても酔えるのは良いことだな、と適当に話して、タバコ一本と交換でラーメン屋を教えてもらった。当然ながらこの時間には開いてないし、寝起きの胃にラーメンは厳しいので、自分が覚えていたらいこうと記憶の片隅に残しておいた。

そこでふと、酔っ払いが路上で夜を越す光景はここでもあるのかと疑問に思った。財布が無くなった、で済むものが、命が無くなったに変わるのだろうか。あんなところで寝るから、と翌朝の噂話になるのだろうか。気になりつつも2時間ほど歩いて帰ると、適当に固めかけた髪が凍っていた。

 

日が昇る頃、数年ぶりにスキーをしにキロロまで来た。手ぶらで、全部付いているツアーを選択したが、交通費・ウェア・器具・リフトと全部付いて10000程だったので、安いものだった。

キロロについてマップを見た時、広すぎる、とシンプルに驚いた。一番長いリフトが3000mあって、15分も乗ることになる、と。15分も乗るなら普通に行きも帰りも乗って景色見たいな、と思い立ったものの、スキー場のリフトは基本登り専用で、下りは許可していないことが多いのでやめた。そういうものはきっと、ロープウェイだの、観覧車だの、相応しいところで見るものだろうから。

 

固まってガリガリの氷は無く、ターンで粉が舞う路面だった。多少削れても雪は降り続けていたので、すぐにコンディションも元の良好に戻っていく。小さい子が上級者コースを爆速で駆け抜けて行くところを見て、この子にとってスキー場は特別な場所ではなく、もっと身近な、それでいて良い遊び場なんだな、と感じた。結局2回転んで、帰った後もじわじわと打った首と肋骨が軋むのは内緒にしている。

ゲレンデとマップ(一部)左側にもコースがあり、ただ広い。

 

夕方に札幌に帰って、ジンギスカンを食べた。お腹いっぱいになってから、今朝のラーメン屋の存在を思い出した。酔いどれは元気だろうか。

流石に雪まつり1日目だけあって、昨日よりも人は増えていた。夜からライトアップショーがあったので、20時ごろからふらふらとカメラ片手に大通りを歩いた。雪だるまを作ったことは人生で片手で数えるほどしかないが、雪像なんかはその数倍繊細で面倒で難しいのだろうな、とどうでも良い感想ばかり浮かんだ。

雪像と光の組み合わせはひどく不思議で、過剰な光が銀行のビルまで照らして、非日常感が強い中、シャッターを切っていた。

 

雪まつりの写真。馬が光ると楽しい。

この日の余談で、友人からブルーアーカイブ雪像がある、と聞いていた。自分のブルアカの知識はとてつもなくデカイ胸だけだだたので、もし雪像がデカかったらどうしよう……と戦々恐々としながら眺めに行った。普通で良かった。

 

5日、日曜日。

爆睡したもののそういえば昨日ほぼ寝てなかったから仕方ないか、と正当化する朝から始まる。特に何も決めてなかったので、今日は食べたいものを買いに行くか、と昼から小樽に向かう。

バレンタインが近いから、きっと催事場でも買えるであろう物も気にせず、翌週の自分が食べたくなるかもしれないものを買う。変な書き方になるけれど、自分の根底には昨日の自分と明日の自分は別のものである、という意識があるが故に、こういう考え方で物事を良く決める。すると、昨日の自分は怒っていたかもしれないが、今日の自分にとってはどうでも良いことだな、ということがよく起きる。なので、喧嘩は長引くことはないが、反対に、昨日の自分は好きだったけど、今日の自分は好きじゃないな、となることもまあある。記憶や事象は変わらず引き継がれるものではあるが、そこに付随する自己に連続性があると思えたことは未だない。

それでも運河で買ったグラスを夏頃の自分が気にいると良い、とは思う。

 

海に近いからか、はたまた気候のせいかこの日が一番寒さを感じた。ジーンズの薄さを恨みながら、アルコールで全部を誤魔化す。この旅行でホットワインをほぼ毎日飲んでいるが、この飲み物に感謝したことは人生でほぼない。

自分はジンジャーの効いた正しいものより、サングリアを適当に温めたなとわかる、安いホットワインの方が好きだと気付いた3日目だった。

 

 

小樽で撮った写真

 

06、月曜。

平日なだけあって、仕事へ向かう人、スーツケースで帰る人、反対に今日から泊まるのであろう人が行き違っていた。かく言う自分も帰る側の人間なので、見納めに、と雪道を遠回りして歩いた。気づかなかったが、この3日でブーツはひどく汚れていた。

 

広い空港は早めに着いても暇を潰せるから、と快速に乗った。ここでsuicaが何故か微妙な動作をしたので、切符を購入するために並ぶ。モバイルだと気にならない数字も、実際目にすると結構な運賃なのだな、と気づいた。

かわいかったので買ったが、これが関東で使えるのかはわからない。

 

空港で荷物を預けてから、ひとつ忘れものに気づく。空港のお土産コーナでサッポロビールを見て、結局あの店には行かなかったな。まあそういうこともあるし、たぶんそういうものの積み重ねが、いつか記憶に変な色を残すのだろうと、ひとり、2時間後の飛行機を待っている。良い旅だった。